デルマニアのブログ

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ペニシリン筋注の登場で選択肢増える梅毒治療 世界的な標準治療薬がわが国でも使用可能に

 2022年1月、梅毒の世界的な標準治療薬である持続性ペニシリン筋注製剤がようやくわが国でも発売される。国内では、これまで数週間にわたる内服治療しか選択肢がなかった梅毒治療だが、早期梅毒であれば単回投与で治療を完遂できる“確実な治療法”の登場により「患者のアドヒアランスが不明な場合でも感染の連鎖を断ち切ることができる」と専門家は期待を寄せている。

 梅毒に対する長時間作用型のペニシリン製剤「ステルイズ水性懸濁筋注60万単位シリンジ/240万単位シリンジ」(一般名:ベンジルペニシリンベンザチン水和物)が2021年9月に製造販売承認を取得、11月に薬価収載された。同薬剤は神経梅毒を除く梅毒を適応とし、2022年1月中の発売を予定している。1回の筋肉内投与で有効血中濃度が1週間以上持続するため、感染から1年以内の早期梅毒であれば、ベンジルペニシリンとして240万単位を単回投与することで治療が完結するのが特徴だ。

 ベンジルペニシリンベンザチン水和物(以下、BPB)の筋注製剤は、梅毒の標準治療薬として国外で70年近い使用実績があり、かつては日本でも使用されていたものの、1950年代にアレルギーによるショック死が起きたことなどから1980年代に販売中止となった(関連記事:増える梅毒、ペニシリンG筋注再開に向け一歩)。

 以後、わが国ではアモキシシリン(サワシリン他)の経口投与が梅毒の第一選択薬とされていたが、4週間前後と長い投与期間を要するため、患者の負担が大きいことやアドヒアランスが不良な例では治療を完遂できないことなどが問題視されていた。そこで、2013年に日本感染症教育研究会が「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬」として、BPB筋注製剤の承認を厚生労働省に要望。検討会議にて有用性が認められ、厚労省ファイザーに開発を要請し、今回の発売に至った。


「最もエビデンスがある梅毒治療薬がようやく国内でも使えるようになったことは喜ばしい」と話す、しらかば診療所の井戸田一朗氏。

 「梅毒治療薬として最もエビデンスがある薬剤がようやく国内でも使えるようになったことは非常に喜ばしい」と話すのは、しらかば診療所(東京都新宿区)院長の井戸田一朗氏。同氏によると、わが国では内服治療を中断するケースは意外に少ないとされているものの、症状がなくなった後も患者がきちんと内服を続けるかどうかは不透明だ。一方、BPB筋注製剤は早期梅毒であれば単回の筋注で確実に治療ができるため、「患者のアドヒアランスにかかわらず治療ができ、感染の連鎖を確実に断ち切ることができるという点で、BPB筋注製剤の承認は公衆衛生学的にも意味があるだろう」(井戸田氏)。

 BPB筋注製剤の登場により、梅毒治療を巡る現場の混乱が収まるのではないかとの期待もある。「従来のアモキシシリンの内服療法は、推奨される投与量が複数存在するため、現場の医師から『アモキシシリンの投与量をどうすべきか』と相談を受けることも多かった」と明かすのは、香川大学医学部附属病院感染症教育センター准教授の横田恭子氏。というのも、2018年に日本性感染症学会が作成した「梅毒診療ガイド」ではアモキシシリン1500mg分3の4週投与が推奨されているが、他方で、アモキシシリン3000mg/日とプロベネシドの併用が有用との国内の報告があったり(R Tanizaki,et al. Clin Infect Dis.2015;61:177-83.)、英国のガイドラインでは早期梅毒に対してアモキシシリン2000mg 分4とプロベネシド2000mg 分4がBPB筋注製剤の代替として提案されているなど、投与量が一定しないからだ。BPB筋注製剤は成人および13歳以上の小児に対する1回当たりの投与量は同一となっているため、BPB筋注製剤が普及すれば、こうした現場の混乱も軽減される可能性が高い。

梅毒治療薬としての立ち位置はアモキシシリンと同等
 このように、アモキシシリンの欠点をカバーするBPB筋注製剤だが、同薬剤の普及にあたっては幾つかの障壁がある。主な障壁と考えられるのが(1)注射手技のハードルの高さ、(2)アモキシシリンによる治療完了までの薬剤費が約1800円であるのに対し、BPB筋注製剤は240万単位1筒が9273円と高額であること、(3)ペニシリンショックやアナフィラキシーへの懸念──だ。

 (1)の注射手技に関して、BPB筋注製剤は粘稠性が高いため、240万単位には18ゲージの注射針の使用が推奨されているが、「欧米人と比較して華奢な体格の日本人に18ゲージの針を刺すのは意外と勇気がいる。そのため、注射手技をネックに感じる医師は少なくないだろう」と井戸田氏は指摘する。

(3)に関しては、BPB筋注製剤によるショックやアナフィラキシーを確実に予知できる方法はないため、BPB筋注製剤を投与する際は抗菌薬などによるアレルギー歴を必ず確認の上、投与の際には救急処置ができる準備を行うことなどが添付文書に記されている。「添付文書やインタビューフォーム、適正使用ガイドなどを通して適正使用情報の提供に努めていく」とファイザーの担当者は話している。

 では、梅毒治療薬としてのBPB筋注製剤の立ち位置はどうなるだろうか。米疾病対策センター(CDC)のガイドラインでは、BPB筋注製剤が早期梅毒に対する唯一の治療薬として推奨されているが、日本性感染症学会が2021年11月17日に発表した提言では、BPB筋注製剤の位置付けを従来の第一選択薬であるアモキシシリンと同等としている。この理由について、井戸田氏は「いくらBPB筋注製剤が世界の標準治療薬とはいえ、わが国の研究ではアモキシシリンの有効性も示されている。そのため、BPB筋注製剤のみを梅毒治療の第一選択薬とするのではなく、ひとまずはアモキシシリンと同等の位置付けとすることが性感染症学会梅毒委員会の全会一致で決定した」と明かす。今後は、BPB筋注製剤のメリットとデメリットを勘案した上で、2剤のいずれかを選択することとなりそうだ。

先天梅毒の減少に貢献か

香川大の横田恭子氏は「BPB筋注製剤が広まれば、先天梅毒は減少する可能性が高い」と語る。

 梅毒の患者数は2010年から患者数が増え続け、2018年には7000例近くが報告されたが、2019年、2020年は患者数が減少した。しかし、2021年は再び増加傾向にある。国立感染症研究所の報告によると、2021年第51週(1月4日~12月26日)までに報告された梅毒の患者数は7790例で、昨年同時期(5601例)の約1.4倍だった。さらに、1999年の感染症法施行以降、最多となっていた2018年の同時期(6782例)を上回っている。

 経路別に見ると、男女ともに異性間性的接触による報告数が増加傾向にあり、母子感染による先天梅毒も近年は年間20例前後例報告されている。そんな中、「BPB筋注製剤が普及すれば、先天梅毒は減少する可能性が高い」と横田氏。アモキシシリンの内服療法とBPB筋注製剤の有効性を直接比較した試験はないが、妊娠梅毒患者を調査したわが国の研究によると、先天梅毒の予防において後期梅毒の妊婦に対するアモキシシリンの内服療法は効果的ではないことが示唆されている(T Nishijima,et al. Emerg Infect Dis.2020;26:1192-200.)。一方、BPB筋注製剤を用いた海外の研究では、後期潜伏梅毒患者の児の先天梅毒の予防率は100%だった(JM Alexander,et al. Obstet Gynecol.1999;93:5-8.)。井戸田氏も「妊娠梅毒患者のアウトカムを改善させる上でBPB筋注製剤が果たす役割は大きいと言えるだろう」と話す。

 一方、BPB筋注製剤が梅毒患者全体の抑制にどの程度寄与するかについては、「未知数だが、あまり大きなインパクトは期待できないだろう」と井戸田氏は推測する。その理由として、梅毒は日本のみならず米国をはじめとする多くの国で増加傾向にあることに加え、先述の通り、日本ではアモキシシリンの内服を中止するケースが多くはないことなどが挙げられる。諸外国でも梅毒が増加している理由は一概には言えないが、「梅毒と重複感染の多いHIV患者の性行動が、抗HIV薬の進歩により活発化していることも要因の1つと考えられる」(井戸田氏)。

 また、パートナーの追跡が不十分であることも課題として挙げられる。「多くの医療機関では、パートナーにも検査や治療を受けてもらうことを感染者に伝えていると思うが、強制力はない」と井戸田氏。パートナーの治療を効率的に行うための工夫として井戸田氏は「『パートナーが梅毒に感染した』あるいは『梅毒に感染した人と性交渉の経験がある』と申告してきた患者には、検査の有無にかかわらず治療を勧めている」と話す。確定検査にこだわり、治療介入できるタイミングを逃さないよう、検査を望まない患者には検査なしでも治療するという方針だ。